1999年 ロボットが家の中でペットになる ホンダの「ASIMO」からソニーの「AIBO」

(二〇世紀のデザインあれこれ 120)

 新年早々ヨーロッパでは通貨が「ユーロ」に替わったかと思えば、日本では不良債権が積み上がり銀行が生き残りをかけて合併などによる銀行の再編が起こる。
 モノづくりでは「ISO13407」(インタラクティブシステムにおける人間中心設計プロセス)という国際基準ができ、いまさらながら「人間中心のモノづくり」という考え方が注目され「ユーザビリティ」なる用語まで一般化した。これをひとことで言えば人間にとっての使いやすさで、「特定のユーザーが特定の利用状況において製品やシステム、またはサービスを利用する際に効果や効率及び満足を伴って目標を達成する度合い」とされたが、デザインにとってはごく当たり前のことが再確認されたにすぎない。ただ一つ、「自然との共生抜きの人間中心はない」という視点が抜け落ちていたが。
 「人間が中心」といえば、世紀末のこの年に四本足の子犬のかたちをしたロボット(AIBO)がソニーから発売された。ロボットが家の中で人間と触れ合うことで人間に癒しをもたらすものとなり、ロボットが新たな展開の年となったのが1999年である。
 子供のころのロボットといえば、手塚治虫の漫画「鉄腕アトム」を思い浮かべるが、1950年代当時は夢の物語であった。
 わが国では古くから「からくり人形」などにロボット的なものを見ることができるが、日本で初めて作られた人型ロボットは1928年の大礼記念京都大博覧会で公開された人型ロボット「學天則」①である。制作したのは当時毎日新聞の事業部長であった西村真琴で、オリジナルは圧縮空気とゴムでできていて高さが3メートル余り。上部にとりついた告暁鳥が鳴くと學天則は目を閉じ瞑想する。考えがひらめくと目を開き左手に持った霊感灯が光り、微笑みながら右手の鏑矢のペンでひらめきを書き起こす。回転式ドラムで動きを制御された學天則は西村の日頃の信条である人間の素晴らしさを示す目的で人造人間をつくったのである。「學天則」としたのは「天則(自然)に学ぶ」という意味がこめられ「地球は人間のものだけではない」という生物学者でもあった西村の思想を表わしていた。人と自然がいかに共存していくべきかを具現した人造人間「學天則」は単に日本初のロボットというだけではなく、多様なロボットが多くの分野で開発される今こそ西村の「學天則」が示した意味を知るべき時ではなかろうか。

 ここで「ロボット」の語源について触れておくと、1920年にチェコの作家であるカレル・チャペック②が著した戯曲『R.U.R.』の中で人間のために労働をやってくれる人造人間を構想し、これをロボタ(ROBOTA)としたことからと言われている。チェコ語の強制労働を意味する「ロボータ」とスロバキア語で労働を意味する「ロボートニーク」からつくられた造語である。
 「ロボット」という用語が日本で広く知られるようになるのは、工場などで危険を伴う過酷な作業を人間に代わって行う「産業用ロボット」の普及からである。世界で産業用ロボットが現れたのは1940年頃という記録もあるが、1954年にアメリカ人のジョージ・デボル③が「プログラム可能な物品配送装置」の特許を申請したのが最初であるとされていて、産業用ロボットが躍動するのはアメリカの自動車製造工場であった。1966年にフォードの人気車種であった「ムスタング」の工場を見学したとき、パーツの一部はラインの外でロボットにより造られていたが、そんなことより組み立てラインが当時の最先端であるコンピューターでコントロール④されていて異なる車種が流れるのに驚嘆しながら見入ったが、作業は人間が行っていた。
 日本ではアメリカのユニメーション社と技術提携した川崎重工業が1969年に油圧ロボットの生産を始めたのが最初である。1972年には日本ロボット工業会が組織され、折からのオイルショックで製造業は合理化を迫られ産業用ロボット市場が急成長する。作業内容も溶接から組み立て、搬送、塗装、検査、研磨、洗浄など多種多様になり、日本のロボット産業は80年代から急速に拡大していく。90年代ぐらいから日本は産業用ロボット大国となる。
 産業用ロボットが活況となるなか、日本の科学技術の発展とあいまって産業用だけではなく人間と同じ動きをする人型ロボット(ヒューマノイド)の研究・開発が始まったのが1973年。早稲田大学ヒューマノイド研究所が本格的な人型知能ロボット「WABOT-1」(形態はホンダの Eタイプと同様機構だけの試作機)を発表。人間との会話を簡単な日本語で行い二足歩行が可能であった。以後人型ロボットは本田技研工業(以下ホンダ)が1986年頃から開発をはじめ、下半身だけの実験タイプからスタートし人間の動きだけを行うロボット「Eシリーズ」(歩行の原理を研究する研究実験機)のモデル「E0」は高さが100センチ余りで一歩進むのに15秒を要した。続いて1992年に発表したモデル「E5」では自立歩行が可能となる。そして人間の姿をした人型ロボットの試作機「Pシリーズ」の「P2」が発表されたのが1996年。この「P2」の段階で初めてデザイナーが開発に加わりクレイモデルを製作したという。「P2」は身長が182センチで自立歩行し上半身も人間らしくデザインされ「人型ロボットの決定打」と評価され、ロボット研究者を驚愕させた。その後もホンダの人型ロボットの研究開発は続けられていく。
 この年のこととしてロボットを取り上げたのは、前述のペットロボット(エンターテイメントロボット)が出現したからである。1999年6月1日にソニーが「AIBO」(アイボ)と名付けた子犬のようなロボットを、ウエブ上で予約販売を開始。価格が25万円もしたが、予約開始からわずか20分で日本向けの3000台が締め切られたという。ロボットが一気に人間に近い存在となったのである。その後は価格面でレンタルや故障などの問題はあったが、「アイボ」は四足歩行の30センチぐらいでよりリアルな子犬らしく進化し、人間と一緒になって楽しむ玩具(エンターテイメントロボット)としての役割を担い、癒し系商品の先駆けとなる。この年にもう一つ、三菱重工が観賞用の魚のロボット「アニマトロニクス」の開発を始めたことも付記しておこう。
 昨今のロボットはAIなどの発展により医療用やサービス作業、さらに兵器など軍事用にも生かされようとしている。ユニークなデザインで情報提供やサービス面で人間の代わりをするものや将棋を指すロボットが人間に勝つぐらいはよしとしても、戦場が宇宙にまで広がることはロボットのあるべき姿なのだろうか。
 人工物だからなにをやらせてもいいわけではない。
 ロボットは、自然との共生を視野に入れつつ「人間との共生」をなにより重要なものとして付き合う人工物であることをしかと認識すべきであろう。
 800年も前に仏師運慶が彫り出した金剛力士像などの、動きこそしないが仏性と鬼気を一瞬の姿勢にとどめる造形、そして「學天則」の意味することに思いを馳せながら。

2年前