1997年 デザインが都市を再生させた スペインのビルバオにおける都市再生の奇跡

(二〇世紀のデザインあれこれ 118)

 1997年の日本は、4月に消費税が5%に引き上げられ、春からはその反動で金融危機を招き、金融機関の相次ぐ破綻が世間を騒がせ経済の再生が希求された年であった。
 デザインでは、日本はもとより海外でも多くの領域で注目すべき試みもあったが、それらを全て吹き飛ばしたデザインがスペインのビルバオに出現した。
 フランク・ゲーリーがデザインし、この年開館したグッゲンハイム美術館である。
 開館後、人口40万人ぐらいの街に海外から年間100万人以上の人が訪れるようになったのだから単に注目すべきデザインというだけではなかった。この美術館の他にも官民共同の多くのプロジェクトが同時並行的に推進された結果、ビルバオという都市を蘇らせたのだ。通称「ビルバオ効果」と言われるこの都市再生プログラムは世紀末の一大快事であり、グッゲンハイム美術館はその象徴的建築であった。
 ビルバオは北スペイン・バスク地方の都市で、20世紀初頭はスペインの工業地域として鉄鋼業や造船業で栄えていた。80年代になりそれらの産業が衰退の一途をたどり失業率も25%に達し、川は汚染され街は荒れ果てていた。1989年になってバスク州政府は15億ドル(約2000億円)の予算を計上し「ビルバオ大都市圏活性化戦略プラン」を策定して都市再生に乗り出すことになる。それはグッゲンハイム美術館の建設を含め18ものプロジェクトからなる総合的なものであった。プロジェクトの主なものをあげると、ビルバオ港の拡張計画、ネルビオン川の浄化計画、ビルバオ空港や地下鉄網の建設などのインフラ整備、図書館や美術館の改修のほかに劇場などを含む大型複合文化施設の建設や歩道橋の建設など多岐にわたり、それはまさに都市の大改造である。
 これらの中でデザインに注力されたプロジェクトはグッゲンハイム美術館の建設の他にもいくつかあった。その一つは当時スペインのスター建築家であったサンティアゴ・カラトラバ①がデザインし、この年開通したスビスリ橋である。曲がった床板に白い鉄線が舞い上がり彫刻を見るような高欄は橋の概念を覆すデザインでビルバオの観光名所になる。さらにカラトラバはビルバオ空港(2000年に開港)にも構造力学に長けた建築家らしいユニークなデザインを展開した。
 地下鉄網の建設では香港上海銀行を設計し、当時のスター建築家であった英国のノーマン・フォスターをデザイン監修に起用したことを知ると、ビルバオのデザインによる都市再生の本気度を知る思いである。地下鉄出入り口のガラス張りの虫の抜け殻のようなデザインはビルバオの街にユニークなアクセントを加えた。
 だが、なんといっても「ビルバオ効果」をつくりだした象徴的なデザインは、この年の10月18日に開館したグッゲンハイム美術館である。
 念のために書いておくと、この年までビルバオに美術館がなかったわけではない。ビルビオには1914年に開館した美術館があり、この改修と拡張工事も18のプロジェクトの一つになっていて、2001年にリニューアル開館している。が、よりインパクトのある再生のための起爆剤が必要であったのだ。
 1991年にバスク州政府がニューヨークのソロモン・R・グッゲンハイム財団に都市再生プロジェクトの目玉として美術館の建設を打診したことからこのプロジェクトは始まった。美術館としてのブランドが必要であったのだ。グッゲンハイム財団はマンハッタンのセントラルパークの東側にフランク・ロイド・ライトの設計で有名な美術館を運営していた世界の美術館の名門である。それがどうして、さほど大きくもないスペインの古い工業都市がグッゲンハイム財団に美術館の運営を依頼しようとしたのか? 当時のグッゲンハイム財団は多館戦略を国際的に展開することを検討しており、両者の思惑が一致したのである。その結果、グッゲンハイム財団はビルバオの美術館建設に自らのプログラムとブランドを提供することに合意する。

 バスク州政府は建設費1億ドルに加えて美術品の新規取得費用や年間予算などで総額2億3000万ドル(当時の為替レートで約300億円)という多額の費用をかけて建設することを決める。設計者の決定にはフランク・ゲーリーに日本の磯崎新とオーストラリアの設計グループのコープ・ヒンメルブラウ②の三者によるコンペが行われ、審査の結果フランク・ゲーリーの案が採択される。
 美術館は市内の中心を流れるネルビオン川に沿った旧工業地区(敷地面積:32,700㎡)に建てられた。竣工した美術館は脱構築主義の建築家・フランク・ゲーリーらしく鈍く光るチタンが貼られた板が舞い踊るような巨大な彫刻作品となって現れた。住民は驚嘆したが、なによりその後世界中から観光客が押し寄せることになる。素材もチタンに加えライムストーン(石灰岩)とガラスを絡み合わせゲーリーらしさの溢れた建築。巨大な展示空間を持つ内部空間も複雑で、これを設計図に落とし込むのは大変であっただろう。70年代ならこんな建築をイメージしたとしても実現不可能であったが、三次元CADソフト・CATIAという設計支援のシステムを使用することで実現できた。1988年にニューヨークのMoMAで、ゲーリーを脱構築主義の建築家として紹介する展覧会を企画した建築界の大御所フィリップ・ジョンソンも賞賛したという②。
 驚くのは建築だけではなかった。屋外に出現したオブジェ「パピー」と「ママン」も意表を突く巨大さでグッゲンハイムのアイコンとなった。
 「パピー」はジェフ・クーンズ③が1992年にドイツでの展覧会のためにつくった高さが12.4mの鉄の骨組みに花を植えこむトピアリー彫刻で、1995年にいったん解体されたが骨組みをステンレスにして内部に灌漑のシステムを備えたものとして再建。1997年にグッゲンハイム財団が購入しビルバオに移され美術館のアイコンになった。
 今にも動き出しそうな巨大な「ママン」と名付けられたおなかに卵を抱く巨大な蜘蛛は、ルイーズ・ブルジョワ④の作で、その後六本木ヒルズにも彼女の蜘蛛が現れた。
 経済的指数による詳細は省略するが、美術館開館による経済波及効果は観光客が20倍、GDPが5倍になり、州政府の投資額は3年で回収できたという。まさに「ビルバオ効果」という奇跡が起こったのである。
 このころのスペインという国は「凄まじい」という一言がぴったりで、ビルバオだけではなかった。スビスリ橋を設計した建築家カラトラバが故郷のバレンシアにSFの世界を再現したかと思わせる芸術科学都市を1996年から2005年にかけて建設したが、なかでもこの時期に竣工した「レミスフェリック」というIMAXシアターは人間の目を模したといわれる奇抜なデザインである。
 1997年は、デザインが都市を再生させる大きな要因となった稀有な年であった。

2年前