1994年 さらなる「情報化」へ—そのⅡ オフィスシーンを変えた椅子「アーロンチェア」

(20世紀のデザインあれこれ115)

 「たかが椅子か」というなかれ。この年誕生した一脚の椅子「アーロンチェア」①は情報化時代のオフィスシーンを変えたといっても過言ではないのだから。
 パソコンがどれだけ進化しようが、人間がオフィスなどの場で椅子に座って使うもの。パソコンと椅子の関係は避けて通れないものである。
 この移り変わりの激しいデザインの時代に色といえば黒一色で、発売以来30年近くを経てもなおバリバリの現役。それどころか、造ったハーマンミラー社では2016年になって更なる「座ることの科学」により機能と素材などにレベルアップを目指し、オリジナルをデザインしたD.チャドウィック②によりリマスターされたことは今なお売れ続ける製品であることの証である。世界134ヵ国で700万脚も売れたというからこの年の主役とするに不足はないだろう。世界中で情報化時代のオフィスという空間をこれだけ永く席巻したデザインは他にない。
 ご多分に漏れず日本のメーカーはモノマネに走り、特徴であるメッシュ素材を使っただけの製品や一見アーロンチェアかと見まがうような製品まで登場した。
 ここで、アーロンチェア登場までの事務用椅子の流れを振り返っておこう。実はパソコンの登場より先にオフィス家具の方が変わりだしたのである。それは1976年のことで、ドイツのケルンでそれまで開催されていた展示会を一変して開催された通称「オルガテック」③というオフィス関連の見本市でのことである。
 第二次世界大戦以後、公共空間の家具でモダンデザインの先頭を走っていたのはアメリカで、その中心がイームズ、ネルソンのデザインで名を馳せたハーマンミラー社である。それが見事に覆ったのが1976年のケルンであった。デスクなどの箱ものにも見るべきものがあったが、特に事務用椅子が大変革を遂げていた。だが、そこにはハーマンミラーの影も形もなかった。逆にハーマンミラーにデザインの教えを乞うたヴィトラ社が「ヴィトラマット」という目を瞠るようなデザインの椅子を出品。以後もマリオ・ベリーニのデザインによる「フィグラ」などを世に送り出す。その他何社かのドイツ企業が事務用椅子を人間の欲求に対応してレバーひとつで座部やその他の部位を動かし始め、デザインにも見るべきものが勢ぞろいした。当時の日本の事務用椅子といえば、グレーのスティール製でビニールレザー張りの戦後からの遺物であったのだからその光景には吃驚した。その後もドイツではウイルクハーン社の「FSライン」④などパソコン作業に対応しつつデザインも優れた椅子が登場するが、アメリカからは出てこなかった。唯一クルーガー社がエミリオ・アンバースのデザインで「ヴァーテブラ」⑤という革新的な椅子を発表し、日本のイトーキがライセンス契約によって製造・販売するが永くは続かなかった。
 1964年に世界中のデザイナーを驚かせたオフィス家具システム「アクションオフィス」以来オフィスの箱ものでは次々と新製品を世に出してきたハーマンミラー社だが、事務用椅子では鳴りを潜めたままだった。ようやく1984年になって「エクア」という名の椅子を発表するが、大きな評価を得るまでには至らなかった。
 そしてこの年ケルンに颯爽と登場したのが「アーロンチェア」であるが、ハーマンミラー社にとっては大博打であったといってもいいだろう。というのも、これまでの事務用椅子の概念からは考えられない椅子であったからである。当時のドイツ系の事務用椅子はカラフルであるのに対し、色といえば黒。パソコン作業に対応する機能(キネマット・チルト機構等)などの機構部分は座部の下にむき出しであった⑥。
 最も驚かされた点は背と座が黒のメッシュ素材(ぺリクル)で張られただけであった。20世紀の椅子の歩みを辿ってみても、FRPや木製の椅子を除いて人間が接触する部分はクッション材を布などで覆い縫製・加工するという手間のかかる作業によってできていた。それをこともあろうに、メッシュを張るだけであったのだ。長時間の作業で体の周りに熱や湿気がこもるという不快感を解決したというが、色もフレームや脚部まで黒一色でとてもこれまでの椅子の概念からは考えられないものであった。

 90年代初頭、誰がこんな事務用椅子をイメージできたであろうか。
 後日、チャドウイックに頼んで資料を送ってもらったのだが、よくよく見れば、50年代からのハーマンミラーの製造方法のコンセプトである「職人の手仕事を可能な限り避ける」ということで貫かれていた。
 実は、あまり知られていないことだが、ハーマンミラー社として、椅子にメッシュ素材を使うのはこの時が最初ではない。イームズが1958年にデザインしたアルミナムグループの試作段階では屋外用としてメッシュ素材が張られていたのである。35年間の時の経過はあったにしても社内では記録として残っていただろう。
 リマスターされたバージョンでは、人間工学を取り入れメカニズムなども更なる進化を遂げている。が、注目される点は背と座のメッシュ素材を8つのゾーンに分けて強度を変え体圧を分散させる「8Zぺリクル」としたことである。均一のぺリクルに比べて座る人の身体にフィットしてより快適な座り心地を実現している。(画像を参照)
 これを知って、1966年にネルソン事務所で事務用椅子のデザインに取り組んでいたころのことが蘇った。それは弾性のあるシート(ソフトパッドと呼びデュポン社での開発を待たねばならなかったのだが)をフレームに張って構成する椅子で、背と座にかかる体圧分布を記録してシートの厚みを部分によって変える実験を重ねていた。
 クッション材の入った椅子、例えばソファのような休息を目的とする椅子では、デザインされた外形と人間が座ったときの形状が違ってもそれほど問題ではないが、長時間作業する事務用椅子の場合は座って作業する形状が重要で、座ったときの変形を計算に入れてフレームの形状をデザインしなければならない。これをデザイン・コントゥア⑦及びファイナル・コントゥアと呼び、シートの厚みを部分によって変えながらその差異を実験しながら探っていた。(画像を参照)
 私の帰国後、ハーマンミラー社に提出したという企画書が送られてきたが、そのころネルソンとハーマンミラー社の間ですきま風が吹きはじめていたこともあってか、企画は闇に消えた。機構やソフトパッド素材など未解決な点も多かったが、製品化に至らなかったのは残念であった。アーロンチェアより28年も前、リマスター時からは半世紀も前の話である。
 パソコンなど影も形もない1966年ごろは、ハーマンミラー社といえども事務用椅子の開発に資源を投入する時期ではなかったのだ。
 アーロンチェアはパソコンの進化とともに生まれた事務用椅子で、「デザインは時代表現」とする典型である。

① 拙著『20世紀の椅子たち』396〜399頁参照。

② アーロンチェアのデザインはウイリアム・スタンフ(William Stumpt,1936〜2006)とドナルド・チャドウイック(Donald Chadwick,1936 〜)の二人のデザインである。

③ ドイツ名では「ORGATECHNIK」で1953年から開催されていたオフィス家具見本市から1976年に装いを変え、オフィス家具だけではなく器機なども含めオフィス関連の国際的な見本市となり、以後2年に一度開催されている。

④ 拙著『20世紀の椅子たち』372〜373頁。

⑤ 拙著『20世紀の椅子たち』356〜359頁。

⑥ 当時のドイツ系企業の事務用椅子は機構部分が背の中や座の下にあり、プラスティック素材でカバーされていた。

⑦ デザイン・コントゥア(Design Contour)など聞きなれない言葉と思うが、当時のネルソン事務所ではデザインとして表現する形状をデザイン・コントゥアと呼び、ファイナル・コントゥアは人間が座ったときの変形した形状を意味していた。

2年前