1993年 さらなる「情報化の時代」へ

(20世紀のデザインあれこれ114)

 1993年5月18日、「Windows 3.1」の日本語版が売り出された。使いやすいOSの登場でパソコンを本格的に使う時代がやってきたのだ。
 この年のテーマをもう一度「情報化の時代」としたのは他に総括するテーマを見つけることが難しかったこともある。が、やはり冒頭の「Windows 3.1」というOSの登場に加え、パソコン、携帯電話、コンパクトカメラという情報化時代の三つの道具が社会の状況に対応して新たな機能とデザインによって進化したことである。
 この年、パソコンの出荷台数が280万台と飛躍的に伸びた要因の一つは、前年にアメリカのコンパックが安価なパソコンを発売し、価格競争が起こったからである。日本のメーカーも「PC-9801シリーズ」で先頭を走っていたNECがこの年MS-DOSの利用を主目的とした低価格の「9801FELLOW」をシンプルなデザインで発売。富士通、東芝などもこれに続きパソコンが普及する時代が到来した。
 そんな状況下、パソコンのなかでもラップトップパソコン(ノートタイプ)は1987年に日本の東芝が世界で先駆けてつくったものだが、前年にIBMが出した「ThinkPad」はリヒャルト・サッパー①のデザインにより赤いトラックポイントをアクセントにシンプルで現在のノートパソコンに近いかたちで登場し注目された。低価格化とノートパソコンの利便性が相まってパソコン普及の幕があがった年である。
 携帯電話についてはこれまで触れる機会がなかったが、昨今のスマホの機能を見ると老若男女を問わず、四六時中使用する点でパソコン以上の情報機器である。
 その起源は第二次世界大戦中にアメリカ軍のためにモトローラ社が開発した「ウォーキートーキー」とされるが、日本で最初に現れたのは1970年の大阪万博の電気通信館に現れたワイヤレスフォンである。その後は自動車電話へと進むのだが、携帯電話の歩みは不思議とパソコンと同調している。マキントッシュが登場したのが1984年。日本ではその翌年に電電公社が民営化されてNTTとなり、ポータブル電話機として肩にかける「ショルダーフォン」が発売される。1991年にはNECがアナログ式の「ムーバーN」で折り畳み式を採用しその後の携帯電話の主流となるが、なんといってもこの年デジタル携帯電話サービスが開始されたことで一気に普及する。NECがデジタル化に対応してリリースした「ムーバーN」ではマイクから口までの距離と二つ折りの角度が検討され、その後もこれらの関係は踏襲された。
 次にカメラであるが、戦後の50年代から日本人はカメラに特別の価値観を持ち、収入以上の高級カメラを使ってきた。そのことが日本の輸出品の先頭を走る結果となったのだが、転換点は1986年に富士フィルムが売り出した「写ルンです」というフィルムにレンズが付いたカメラである。以来写真を撮るという価値観に変化が起こり、カメラが二極化する。

 難しい講釈をたれず、もっと気軽に持ち歩けて写真を単なる記録として撮れるカメラの需要が増大する。現在ではスマホがその役割を果たしカメラを持ち歩くことも少なくなったが、このころ持ち歩きに便利な小型カメラを「コンパクトカメラ」という名称まで生み80年代末からカメラメーカーが開発・デザインに取り組んだ。コニカの「ビッグ・ミニ」(1989)やペンタックスの「エスピオ」(1992)などがデザイン面でも注目されたが、この年フィルムによるコンパクトカメラとして世界最小最軽量の「ニコンAF600QD」②が売り出され「ニコンミニ」とも呼ばれた。
 カメラのコンパクト化はデジタル化によってさらに進行するが、デザインでユニークなカメラは3年後にキャノンが出した「IXY」(APSカメラ)で、カメラの概念を変えることになる。当時の広告のコピーに「ドレスのように、イクシーを着よう」とあったように、カメラを「持っていく」から「身に着ける」をコンセプトにしたのだ。首から下げるためにロゴなどを縦型に、サイズは可能な限り小さく、0.1ミリでも薄くするために素材をカメラでは使わなかったステンレスにしたという。身に着けて映えるカメラとして、これまでとは異なる美しいカメラになったといっていいだろう。
 建築にも「情報化が」といえば、何のことかと言われそうだが、この年「高さ」という情報で日本を騒がせた「横浜ランドマークタワー」③が竣工する。1990年12月に竣工し日本一の高さを誇った東京都庁舎より少しでも高いビルをというバブル景気を象徴する価値観が残存し、あたかも1930年代初頭のニューヨーク・マンハッタンを彷彿とさせた。
 海外でこの年強烈な情報を発信した建築はアメリカ・ミネソタ大学のワイズマン美術館である。デザインしたのは脱構築主義の旗手として躍動していたフランク・ゲーリーで、金属板で構成した外観は巨大彫刻かと思わせ建築の概念を変えた。
 もう一つ建築に関して、1993年度の建築学会文化賞を受賞したプロジェクト「くまもとアートポリス」を取り上げておこう。
 偶然にもこの年日米のトップが交代した。アメリカでは1月にビル・クリントンが大統領に就任し、日本でも政治の腐敗などから自民党が分裂、野党が合流して8月に細川政権が誕生する。が、翌年の4月までという短命であったというのは政治の話。
 それがどうしてこの年のそれもデザインの話に関係するのかといえば、首相となった細川護熙は肥後熊本藩主であった肥後細川家の第18代当主で1983年に熊本県知事に当選。全国で最年少知事として1991年まで務めるのだが、彼は1987年にベルリン国際建築展を視察。その体験から熊本県を創造的な文化都市として建築文化の醸成を目指して1988年にスタートさせ現在まで続くプロジェクトが「くまもとアートポリス」である。その目的を熊本県のホームページから転記すると、「環境デザインに対する関心を高め、都市文化並びに建築文化の向上を図るとともに、文化情報発信地としての熊本を目指して、後世に残る文化的資産を創造するため」としている。
 プロジェクトで注目されたのはコミッショナー制度(初代コミッショナーは磯崎新)が採用されたことである。事業参加者はコミッショナーの独自の判断で著名な建築家や若手の有望な建築家を推薦され、設計を依頼することが可能となったのである。
 このプロジェクトによってこの年までに竣工した主なものとして、ハーフミラーを全面に警察署らしくない熊本北警察署(現、熊本中央警察署、設計は篠原一男+太宏設計事務所、1990)と芝生で覆われた丘陵に軽やかに浮かぶ屋根が広がる八代市立博物館・未来の森ミュージアム(設計は伊藤豊雄、1991)をあげておこう。
 こんな事業を展開できたのも細川知事が熊本のお殿様であり文化人であったからであるが、地方のデザイン文化を育んだ事業として画期的なものである。

① リヒャルト・ザッパ—(Richard Sapper,1932〜2015)は、日本ではリチャード・サッパ—と英語読みでいわれるがドイツ出身のデザイナーで、イタリアを中心に世界中で活躍する。デザインは、ヴリオンヴェガのテレビやラジオ、アルテミデの照明器具などデザイン史に残る名品がある。

② 「ニコンミニ」の外形は108×62×32mmで重さは155g(電池を除いて)

③ 横浜市の西区みなとみらいにできた大型複合施設。東京都庁舎が竣工する年に着工され1993年7月に竣工し開業。三菱地所の設計で、タワー塔は地上70階建て、高さが296.33mで、2012年にできた「あべのハルカス」ができるまでは日本一の高さである。

2年前