(20世紀のデザインあれこれ113)
1992年、日本ではバブル景気がはじけ、世界では地球環境問題が顕在化する。なんとも奇妙な取り合わせのようだが、考えてみれば自然な事でもある。
1992年の8月、東京証券取引所での日経平均株価が15,000円を割り込み、多くの日本人が「バブルがはじけた」ことを実感し、やっと夢から覚めたのである。
海の向こうではソマリアの飢餓が深刻さを増すことやエイズという厄介な病がアメリカなどで蔓延しはじめたニュースが日々報道されるたびに気分を暗くした。
なんとかしなければならない時が地球規模で迫ってきていたのだ。
地球の資源は無限であるという錯覚から大量生産と大量消費に加え大量廃棄に明け暮れたのはいつからだったのだろうか。それは日本など先進国でのことだが、人間が欲望にかられ高度成長などという魔物に魅せられた時からである。
「デザインは?」といえば、消費者の欲求(ニーズ)を探り出し、増幅させ、満足させるために資源を多用し、時には「使い捨て」という手段で人間の欲望を満たしてきた。
このままでは地球の生存は危ないとなったのが1992年6月。ブラジルのリオデジャネイロで国連に加盟する180ヵ国が参加。それも100カ国以上が元首または首相が参加するという史上まれにみる大規模な国連環境開発会議「地球サミット」という歴史的なイベントが開催され、世界中が地球環境に危機意識を持ったのである。会議では環境と開発に関する「リオ宣言」の採択などの成果をあげた。日本でこの時初めて「サステナビリティ(持続可能性)」という用語が知られることとなったが、世間で通用するには至らなかった。
地球の環境問題が提起されたのはこの時が最初ではない。20年も前の1972年に国連人間環境会議①がスウエーデンのストックホルムで開催され、さらにローマクラブ②の発足からマサチューセッツ工科大学のデニス・L・メドウズらによる『成長の限界』③が出版され、限りある資源を使い続ければ地球は限界に達するということを多くのモデルを分析して指摘。世界中で900万部も売れ大きな反響を呼んだ。私も衝撃を受けた一人だが、内容には賛否があったことも事実で、科学者の友人に「石油などそんなに簡単になくならないよ」と言われたことを思い出す。
その後の20年間にも気候や資源に関するさまざまな国際会議など地球環境問題に関連する議論や声があがっても経済発展や人間の欲望が優先しそれらが実行に移ることはなかった。それどころか、日本ではバブルという真逆の方向へこの年まで突っ走っていたのである。
『成長の限界』から20年を経て「地球サミット」が開かれたこの年、再びメドウズらによって『限界を超えて』④が刊行された。ここではシステム・ダイナミクスの手法を用い、人間の経済活動が地球環境のソースとシンクの限界を超えたことを提示しながらも人類は限界を乗り越える努力が必要であるとする内容は示唆に富むものであった。
バブルがはじけたこの年、偶然にも国際的に取り組まねばならない課題が明らかになり、デザインレベルにおいても大きな課題が突き付けられたが、残念ながら日本では地球環境に関する視点など芽生えることはなかった。それどころか日本のデザイン史で「地球サミット」に関連する記述すらない。「サステナブルデザイン」というようなことが言われ出すのは21世紀になってからである。
1992年頃の日本のデザイン・ジャーナリズムは依然として10年前からの「ポスト・モダン」に類するアヴァンギャルドなデザインをとりあげ騒いでいたが、それらは紙上で喧伝されたことであり現実には次の二つをこの年の特色あるデザインの方向としておこう。
その一つは、製品化には企画から設計・製造へのタイムラグのため、依然としてバブル景気を象徴するダイナミックで高価な製品である。代表格としてはニコンの水中カメラ「ニコノスRS」(発売時の価格はボディのみで40万円近くもした)とホンダの二輪車「NR ︲RC40」(真っ赤な色彩で発売時の価格は520万円)である。これらは機能と共にデザインでも評価されたが、なんとも凄いバブル景気の遺産である。
もう一つの方向として、この年のテーマである地球環境に配慮したデザインをとりあげたいのだが、バブルに踊っていたのだから目立ったものは見当たらない。ただ21世紀になって制定された「エスディージーズ(SDGs)」⑤の17の目標の中に「すべての人に健康と福祉を」があるので、医療関係にデザインの力が及び始めた製品をあげておく。
その一つは体温計で有名なテルモの腹膜透析システム「キャプディール」である。腎不全の透析治療を家庭で行える画期的な製品で、「ひとにやさしい医療」を目指す企業のビジョンをそのままデザインポリシーとして安全性を第一に使いやすさを追求した製品である。
ただ、ソフトバッグの素材(ポリプロピレン)がプラスティックであるのは仕方ないとしても、爾来、昨今の医療ゴミ(プラスティック)の多さには驚くべきものがあるという。
もう一つは歯科医療器機をつくるモリタ⑥の歯科診療椅子「スペースライン630」である。これは1960年代から歯科治療に「水平位」を取り入れた同社の完成形とでもいえるバージョンで、細部まで目配りされたデザインの完成度が高い製品。だが、より注目されるべきは単に診療椅子のデザインにとどまらずその周辺までを含めて患者に寄り添った企業姿勢である。現在の歯科治療は麻酔の進歩や機器の開発などにより飛躍的な発展がみられるが、60年代からの歯科治療は歯を削る苦痛に加えて、椅子に座ったまま頭を後屈させて口を開け続けるという不快を伴うものであった。モリタは患者の不快の軽減という課題に取り組み、単に診療椅子だけでなく、周囲の家具や植木の緑など治療環境全体をデザインしたことは評価されてよいだろう。
これら二つの製品はいずれも患者の立場になってデザインされた点で特筆に値し、この年のグッドデザイン賞に選ばれたことも付記しておく。
このところ急速に「脱炭素社会」や「SDGs」なる用語が飛び交い地球環境問題は全世界で取り組むべき喫緊の課題となるなか日本企業も努力を始めている。モノづくりに関わる企業は「SDGs」を念頭に「サステナブルデザイン」を企業理念とする企業も現れた。
「ポスト・ポストモダン」のキーワードは「エコロジー」であるべき時が来たのである。
一方、脱炭素社会の方はそれぞれの国のエネルギー事情や政治的思惑が絡み解決は容易ではない。地球環境の解決にはSDGsのような日々の小さなことの積み重ねも必要である。より根本的な解決には人間が欲望のパラドックスを越えなければならいのだが、これには何か別の大きな力か変化が必要なのだろう。
それにしても、昨今のコロナ禍は、ウイルスが「人間よ、いい加減にしろ」と警告を発しているように思えてならないのだが、日々の報道でこんなことを指摘する話もない。
コロナ終息後はまた以前の生活に戻るだけでいいのだろうか。
① 国連人間環境会議は1972年6月にスウエーデンのストックホルムで世界113カ国の代表が参加して「かけがえのない地球」をテーマとして開催された。
② ローマクラブはデザインで有名なイタリアのオリべッティ社の副会長であったアウレリオ・ペッチェイが地球環境の危機に気づき世界各国の政治家や学識経験者などが集まり1968年に発足した。
③ ドネラ・H・メドウズらによる『成長の限界』(ダイアモンド社、1972)
④ ドネラ・H・メドウズらによる『限界を超えて—生きるための選択』(ダイアモンド社、1992)
⑤ エスディージーズ(SDGs)はSustainable Development Goals(持続可能な目標)のことで、持続可能な開発のために17の目標が掲げられ、2015年の国連総会で採択された。
⑥ モリタは1916年創業の歯科医療器機を製造・販売する総合商社で特異な理念を持つ。「スペースライン630」のデザインは「GK京都」である。