1984年 机上にやってきた「情報化時代」

(20世紀のデザインあれこれ105)

 「情報化時代」が謳い文句だけではなくデスクの上にやってきたのが1984年である。
 スティーブ・ジョブズらが1976年に起業したアップル社がパーソナルコンピューター(パソコン)の「アップルⅡ」を世に出したのが1977年。その後も進化し1983年には「「Lisa」を出すが、価格が一万ドル近くもして失敗に終わる。
 初代パソコンからの技術的な変遷やアップル社内の人間関係は置くとして、この年の1月24日に画期的な「マッキントッシュ」(マックの1号機で後に「Macintosh128K」と命名)を発売。これはGUIを搭載しマウスを使ってメニューからコンピューターへのコマンドを選ぶという誰もが使えるパソコンとして鮮烈なデビューを果たす。それもデスク上にコンパクトに収まった上に、発売された時の価格が2,495ドルという比較的低価格であったために飛ぶように売れ、パソコンの世界に革命を起こしたのだ。ただ、日本では698,000円もしたので誰もが買えるものではなかったが。
 私がイリノイ工科大学のクラウンホールでコンピューターへのデータ入力のためにパンチカードの穿孔に悪戦苦闘していたときから20年が経っていた。
 マッキントッシュのデザインを担当したのはジェリー・マノック①で、彼はスタンフォード大学で機械工学を学びメカニカルエンジニアとして活動していた
が1977年にアップル社と契約して「アップルⅡ」の開発・デザインに関わる。1979年からはアップル社のデザイン・マネージャーとなりマッキントッシュの「デスク上でのスペースを最小にする」という課題を見事に解決し、パソコンの歴史に残るデザインを生んだ。
 このパソコンを「マッキントッシュ」と名付けたのは開発を立ち上げたジェフ・ラスキン②である。少々余談だが、「マッキントッシュ」という名前を最初に耳にしたときオーディオ機器と勘違いしたことを覚えている。こどもの頃、鉱石ラジオを一緒に手づくりしながら遊んでいた友人が学生時代にオーディオマニアになり「マッキントッシュ」というオーディオメーカーの名前をよく口にしていたからである。しかし、「マッキントッシュ」(mcintosh)というのは林檎品種名(日本名は「旭」)でアップル社としては自然なブランド名であると知ったのはずっと後のこと。オーディオメーカーがすでに使っていたブラン「Mcintosh」のMとcの間に「a」を入れて「Macintosh」としたという。日本でパソコンが普及するには数年の時間を待たねばならなかったが、パソコンは仕事の仕方から世の中の仕組みまで変えることになる。と同時にオフィスという作業環境をも変えることになった。この年、ヨーロッパではオフィスにおける人間と機械の関係が注目され「エルゴデザイン」③なる用語まで登場し、ドイツ・ケルンでの「オルガテック」という展示会ではパソコンを使うことを前提にした事務用家具が花盛りとなっていた。
 一方、マッキントッシュが誕生したアメリカでは、情報機器だけではなくニューヨークに竣工した一つのビルによって建築デザインに歴史的変革を刻むこと
になる。それはマンハッタンのマディソン・アベニューの5 5 丁目と5 6 丁目の間にできた3 7 階建ての「AT&Tビル」④で、デザインしたのは、1932年に「アール・デコ」に引導を渡したアメリカ建築界の導師ともいうべきフィリップ・ジョンソンである。この年「これがポスト・モダンである」と自ら高層ビルを設計して「モダン」に幕引きを言い渡したのだ。しかしジョンソンはこれだけではなかった。この年ヒューストンにもっと派手なゴシック風の頭部を纏わせたリパブリック・バンク・センターも設計する。そして4年後の1988年には自ら打ち出した「ポスト・モダン」にも引導を渡すのだが、このことはまたの機会としよう。
 「ポスト・モダン」についてはこれまで度々触れてきたが、機能的で合理性を追求する「モダン・デザイン」の退屈さや味気なさに対する反動として装飾性や折衷性を、建築においては歴史的意匠などを取り入れようとする一種のスタイルであり、建築を表層として捉え情報化したといってもよいだろう。だから「はやり病」に終わるのも必然であった。
 AT&Tビルの竣工はこの年であるが、概要が発表されたのはソットサスがつくった「メンフィス」より前である。ジェンクスの『ポスト・モダニズムの建築言
語』(1978)に既にこのビルのスケッチを見ることができるから引導を渡したのは1978年といってもいいだろう。顧みれば、ジョンソンが1958年に師匠のミースとともにAT&Tビルの目と鼻の先にある「シーグラム・ビル」という究極の「モダン」に関わって20年が経っていた。

 マンハッタンを歩きAT&Tビルの前に来ると、高さが7メートルにも及ぶ巨大なアーチ状のエントランスには驚かされるし、その内部空間は日本人にとってはユニークであるが所詮オフィスビルである。このビルの象徴的な造形はビルのトップにとりついた「ブロークン・ペディメント」⑤という古典的な造形を模したものであるが、ビルの前を歩く人間には見えないし、無縁である。建築を単に表層的な意匠、それも「情報的価値」としたのがAT&Tビルで、導師・ジョンソンが設計したから建築界が騒いだのである。
 ニューヨークのAT&Tビルが「ポスト・モダン」として騒がしかった同じ年、「そんな理屈など関係ない」と光の美しい教会がフィンランドに誕生していた。ヘルシンキ郊外・ヴァンターにユハ・レイヴィスカがデザインしたミュールマキ教会である。光、それも自然光と人工の光の織り成す空気によって構成された豊かな空間。こんな空間が同じ年に誕生したことを知ってポスト・モダニスト達はなんというのだろうか。彼らのボキャブラリーである歴史的な意匠など一切ないが、この光が漂う空間を「味気ない、つまらん」というのだろうか。彼らが超克しようとした「モダン」は経済性と機能だけを追求した一部の建築を対象としたのである。「モダン」から今も続く建築空間にも感動を呼ぶものが多いことは誰もが体験しているはずである。
 教会という空間は建築論だけで語れないものであるが、ミュールマキ教会を訪れたとき、これより20年近くも前の1966年にイリノイ大学のアーバナキャンパスに竣工したばかりのクリスチャン・サイエンス・オーガニゼーションセンターの礼拝のための空間に出会ったときの感動が蘇った。設計したのはアメリカの「モダン」を代表するポール・ルドルフで、彼の代表作・イエール大学の芸術・建築学部棟を完成させた直後の仕事である。イリノイ大学出身の級友が「ぜひ見ておけ」とシカゴから車で連れて行ってくれたのだが、大学のキャンパス内にこんな建物があることにも驚いた。ルドルフ仕上げというコンクリートを斫った外装がそのまま内部空間にまで展開する一方、ミュールマキの白とは違って床のカーペットからモダン・デザインの長椅子にまで一体となったサーモンピンクの色の美しさ。天井の隙間からの外光とともに緑の植物が垂れ下がるなか、思わず息をのんだ長谷川等伯の松林図屏風かと見紛うほどの水墨画のような聖人群像にも思いを馳せた。

① ジェリー・マノック(Jerrold Clifford Manock,1944〜)はスタンフォード大学で機械工学を学んだ後、1968年にプロダクトデザインの修士号を取得。プロダクトデザイナーとして活動するが1977年にアップル社と契約。1979年にはアップル社のデザイン・マネージャーとしてマッキントッシュのデザインを担当。

② ジェフ・ラスキン(Jef. Raskin,1943 〜2005) はアメリカの多能なコンピューター技術者で、ユーザーインターフェースによるパソコンの重要性を説く。
マッキントッシュの開発途中でアップル社を退社するが、「マッキントッシュの父」ともいわれている。

③ エルゴデザインは、ergonomics(人間工学)とdesign(デザイン)が合成された用語で、パソコンをはじめとするオフィス機器とそれらの使う人間との関係を十分考慮したデザインをいう。

④ AT&T ビルは、1993年にソニーが買い取り「ソニータワー」と名前を変えたが、現在はサウジアラビアの企業が所有し、名称は「550マディソン・アベニュー」

⑤ ペディメント(pediment)は西洋の古典建築、なかでも神殿形式の正面にある三角形の部分。ブロークン・ペディメントはバロック建築に多く見られる一部が欠けたものをいう。

3年前