2000年 21世紀へ向けて

(二〇世紀のデザインあれこれ 121)

 パリ万博におけるアール・ヌーヴォーから始まった20世紀のデザインは人類史上まれにみる大きな展開を遂げた。
 この100年で道具や生活環境は驚くほど進化し人間の生活は豊かになったのだが、これには大きな犠牲を伴ったことも事実である。
 デザインは人間の欲望をひたすら喚起して経済活動(金もうけ)を目指す企業などの片棒を担いできた。その結果、地球の資源を食いつぶし、使い捨てた廃棄物(ゴミ)で溢れた地球が悲鳴をあげだしたのである。
 いつ頃からデザインが経済活動とより強く結びついたのかといえば、1929年のアメリカの大恐慌からである。モノの魅力を上げ消費を喚起することにデザインが一役買って以来、休むことなくここまでやってきたのだ。日本は1945年の終戦後から消費大国アメリカに学び、地球環境のことなど二の次で爆走してきた結果、地球の悲鳴にようやく気付き始めたのが20世紀も終わりとなるこの年であった。
 地球環境が国際的に問われだしたのは1992年のリオデジャネイロでの「地球サミット」で、いや古くは1972年のローマクラブの提言もあったが、経済優先の日本はそんなことには見向きもせず経済大国への道を走ってきた。その結果、廃棄物は増え、切羽詰まった政府がようやく「循環型社会」という概念を打ち出しゴミ問題や資源の再利用問題を提起したのが2000年の6月。とうとう20世紀の最後の年に変わるべき時期を迎えたのだ。
 政治の世界でも変わるべき年であったのか、不思議な偶然もあった。日本では森喜朗が密室の談合などと非難されながらも首相になったかと思えば、アメリカとロシアという大国のトップもブッシュとプーチンに代わったのである。
 日本は6月になって「循環型社会形成推進基本法」を公布・施行したが、循環型社会を「廃棄物の発生を抑制することと循環可能な資源の循環的利用及び適正な処理によって天然資源の消費を抑制し、環境への負荷ができる限り低減される社会」と規定した。
 廃棄物といえば、プラスチックごみ問題が顕在化したのもこのころである。70年代から急増した食品関係のプラスチックごみを見ていると恐ろしくなる。ペットボトルや発泡スティロールの容器類に加え小さなお菓子を一つずつ包装されるのには終戦後の状況を知る人間にとっては驚くばかりで、高度成長期の日本で「儲けようと思うなら地球を汚すことをやればよい」とまで言われた時期もあったぐらいである。
 毎日、徹底したごみの分別をやっていると、三日で大きな袋が「プラ」ごみでいっぱいになる。海辺に打ち寄せられたプラスチックごみの状況は見るに堪えないばかりか、やがてマイクロプラスチックとなり魚が食べそれが人間にということになる。近い将来,プラスチックごみが魚より多くなるとも言われている。これらは全てデザイナーが手掛けた仕事の結果である。またこの頃、衝突工学を研究していた今は亡き友人が「いずれ宇宙のごみが問題になるときがくるよ」と言っていたことを思い出す。当時はまさかと思ったが、近い将来宇宙が戦場になるとごみだらけになるのだろう。
 翻って、60年代のアメリカ、イリノイ工科大学で「ディスポーザル(disposal)」がデザインのテーマとなっていたことがある。人件費の高いアメリカでは「使い捨て」をいかにうまくやるかはデザインの課題でもあった。その先駆けはなんと1908年にできた紙コップ①で20世紀の名品である。この頃、アメリカでは自動販売機からコーラやコーヒーを飲むのに紙コップを使っていた。紙はプラスチックほどには地球環境にわるさをしないのに消えてしまったのは、より高い利益を得るために缶やペットボトルになったのだろう。
 この年、地球環境問題に関して「循環型社会へ」を提言した日本だが、デザインで国際社会に答えを示さねばならないときがやってきた。それは、偶然にも同じ6月1日からドイツのハノーヴァーで開催された20世紀最後の万国博覧会である②。テーマが「人間・自然・技術」であったからまさに地球環境が主題であった。

 日本館の設計を建築家坂 茂に依頼したのは、彼の紙管を主材とした建築が日本政府の理念に合致したからである(坂は1995年の阪神淡路大震災時に紙管で仮設の教会を設計したことで神戸ではよく知られていた)。大阪万博の会場跡地には太陽の塔以外にパビリオンなど跡形もないように万博のパビリオンは閉会後に解体される建築である。従って、環境負荷を抑制するために産業廃棄物を可能な限り少なくすることが求められ、建材のリサイクルやリユースがデザインの重要な課題であった。坂はメインホールの構造をドイツの構造建築家フライ・オットー③の協力を得て紙管によるグリッドシェル状のアーチとした。
 ハノーヴァーの日本館は循環型社会の実践例として日本が世界に示したものとなった。
 万博のパビリオンは仮設の建物で、取り壊すことを前提に設計段階からリサイクルやリユースを考慮に入れる特殊なものである。しかし一般建築は循環型社会といっても永く維持できることが前提であるから仮設のようなリサイクルではなく、建設廃棄物の処理や建築資材の有効利用が課題となる。
 この時期、循環型社会として建築以上に大きな課題となったのが「モノとそのデザイン」である。そこで誕生したのが、循環型社会より広く地球環境までを視野に入れた概念としての「サステナブル・デザイン」であった。
 サステナブル(Sustainable)とは、1992年の地球サミットのころから日本でも関係者の間で使われた言葉で、「持続可能な」という意味である。この年新たなデザインの概念として、地球環境の持続可能性と共に人間社会の文明・経済システムの持続可能性がデザインの方向性となり、少しは一般化した。
 これでデザインの「作法」も少しは変わるかと思われたが、21世紀になってもそれほどの成果を生まず、その後の「SDGs」という国際的運動にまで引き継がれることになる。
 日本のデザイン行政で一つ注目されるべきこともあった。公益財団法人日本デザイン振興会がやっているデザイン顕彰の中にある「ロングライフデザイン賞」である。モノの中には機能の革新や生活様式などにより変わらざるを得ないものもあるが、使い捨てず永く使える質の高いデザインが顕彰されることの意義は大きい。1950年にデザインされ今もテレビのコマーシャルにまで登場するハンス・ウエグナーの椅子などは「サステナブル・デザイン」の典型だろう。
 地球環境を持続させるには、デザインの課題というよりは人類の生き方や社会システムなどに「大転換」が必要である。
 それでも21世紀のデザインは、「自然(地球)と人間との共生」という思想のうえに、真にレベルの高い造形性が求められる。
 かくしてパリ万博のアール・ヌーヴォーから始まり、ハノーヴァー万博の地球環境問題へと歩んだ20世紀のデザインは終わる。

①紙コップは20世紀初頭のアメリカで、共用水飲み場のアルミカップから結核がはやり、1908年にヒュー・ムーアによってつくられ、「デキシー・カップ」という名で普及した。

② ハノーヴァー万国博覧会はドイツのハノヴァ—で2000年の6月1日から10月31日までテーマを「人間・自然・技術」として万博史上最多の191の国や機関が参加して開催された。

③ フライ・オットー(Frei Paul Otto,1925〜2015)はドイツの建築構造に深い造詣がある建築家。

4か月前