1974年 商業施設の新たな展開 コンビニの誕生からジョン・ポートマンの商環境

(20世紀のデザインあれこれ95)
 1974年5月15日、日本の流通業界にイノベーションをもたらしたコンビニエンスストアである「セブンイレ
ブン」の一号店が東京・江東区に誕生した。
 これまでにも同じような店はあったが、当初の「セブンイレブン」はイトーヨーカ堂がアメリカのサウスランド社と提携したアメリカ型であった。その後は業態を日本の生活習慣に適応させコンビニエンスストア(通称コンビニ)の最大手となる。
 今やコンビニは街中のそこかしこで出会うほど普及し全国で6万店近くになるというが、この年を境に日本の商環境を変えることになってしまった。子供のころ慣れ親しんだ駄菓子屋や文具店などの店が街中から消えることになったのである。
 コンビニだけではなく、60年代末から日本はもとより世界中の都市を中心に商業施設が新たな展開を迎えるのは、モノを「つくる」から「うる」が課題となったからである。一方、消費者にとっては「モノを買う」という行為が自らのライフスタイルの形成につながるほどモノが豊富になり、女性を中心に「ショッピング」が余暇活動の中で多くの部分を占めるようになったことが大きい。
 70年代は個店から大型の複合商業施設に至るまで店舗が盛んにつくられ、それらのデザインが注目されだすと『商店建築』という専門誌まで誕生し、専門家だけではなく店を出店しようとする施主が参考書として買うことにもなった。さらに「日本店舗設計家協会(JCD)」(1961年に発足、現在は日本商環境デザイン協会)という職能集団が結成され、商空間を主な仕事とするデザイナーが躍動し、スター・デザイナーも誕生した。
 翻って、日本の商空間のデザインはこのころから注目されだしたのではなく、東京では明治時代から銀座を中心に活況を呈していた。明治9年(1934)に菅原栄蔵がデザインした「ライオン・ビヤホール」は若いころ東京へ行くとよく利用したが、今も営業されている。
 60年代末から急増する商業施設には建築レベルで大きく分けて二つの方向があった。都市の中心部に多くの店舗を抱えた商業店舗ビル(通称雑居ビルともいわれる)と郊外にできた大型の複合商業施設(ショッピングセンター、略してSC)である。これらに当時の建築家が関わり大いに注目を集めたものと
して、商業店舗ビルでは竹山実が東京・新宿にデザインした「一番館」と「二番館」(1971)がある。ビル全体がサイン化しポスト・モダニズムの先駆けともされた。SCでは二年後のことになるが、菊竹清訓の設計による「西武大津ショッピングセンター」(1976)が話題を集めた。
 今ではSCが全国で3000以上にもなるというが、交通機関の駅とつながりベッドタウンの発展に寄与した好例として、東京ではSCの嚆矢となった二子玉川高島屋(1969)と関西では万博開催に合わせて開発された千里ニュータウンの千里セルシー(1972)をあげておこう。千里セルシーでは屋外の広場でイベントなども行われ、ベッドタウンの中核施設として70年代以後活況を呈していた。
 1974年を商環境変革の年としたのは、コンビニの誕生や大規模小売店舗法(略して大店法)の制定があったからだが、この年もう一つ、孤高の建築家・白井晟一が構想し竹中工務店が設計した「ノアビル」が竣工する。1~2階を日本総業が海外から輸入した家具のショウルームとしたことから商業施設といってもいいビル。白井の思想が現れた建築空間に加え、海外の一流家具に触れることができ、多くのデザイナーが立ち寄る拠点となった。
 商業施設ではデザインの果たす役割は限りなく大きい。それも消費者の注目を集めるPR効果を求められる点で通常の建築やインテリアのデザインとは少しばかり異なる。そのためにテーマの設定や造形面では「意外性」とでもいうべきアイデアが取り入れられることが多い。その極端な例は大阪の道頓堀界隈にある建築にとりついた蟹などのファサード・デザインで、これらを「ヴァナキュラー・デザイン」とでもいえばいいのだろうか。大阪ミナミ特有の商環境文化として海外から訪れた観光客の被写体となっている。

 テーマとしてよく使われたものに「水」がある。大阪の地下街で「川の流れる街」というキャッチフレーズで賑わった「阪急三番街」(1969)では開設時の集客力には貢献したが、今ではほんの一部しか残っていない。とってつけたテーマは長く続くことはない。
 この年、商業施設ではないが、フィリップ・ジョンソンがテキサス・フォートワースに「水」をテーマとした「ウオーター・ガーデン」をデザインしたことも加えておく。水の様々な姿を暑いテキサスのそれも街中に展開した水のテーマパークで、商業施設で展開されるようなちまちまとしたデザインではなく、さすがジョンソンと感じ入り、暑さで疲れた足を浸したことを思い出す。
 海外のSCでもテーマとしていろいろ工夫されるのは同じである。デザインで「うまい」と感じ入り見に行ったのがカナダ・トロントにある「イートンセンター」(1977)で、5階建ての吹き抜け空間に鳥が群舞する様子は圧巻だったが、いまも健在なのだろうか。
 話をアメリカに転じると、この頃とんでもない商空間が次々に誕生し世間を驚かせていた。その主は「ディベロッパー・アーキテクト」という新しいタイプの建築家で不動産開発にも関わっていたジョン・ポートマン①である。彼は60年代末からあっと驚くような空間をつくり続け、前年に竣工したサンフランシスコのハイヤット・リージェンシー・ホテルはその典型で大いに注目された。これはエンバカデロセンターという五つの商環境コンプレックスの一つとして建設された
もので、その内部へ足を踏み入れた途端、あっと驚く大アトリウムが迫り、「これがホテルのロビーなのか」と腰を抜かしたのは私だけではない。この年、日本の建築誌では大きさを表現できず織り込みページで特集された②。大アトリウムにシースルーのエレベーターが走り、これまでの都市の内・外の概念をひっくり返したトポロジックなポートマンの新しい都市空間はその後も話題をさらい続けた。
 ポートマンの建築世界は、自ら企画・開発するからこそで実現できたもので、日本では経営的にも考えられない。こんな都市空間はアメリカならではのもので、アメリカという「表象」である。さらにこの時代を映し出し、デザインが「時代表現」であることをこれほど明快に見せたものはない。
 この後、ロサンジェルスにできたボナヴェンチャー・ホテル(1974~76)には泊まってみたが、大アトリウムの1階ロビーに水が流れ、その中から飾りの付いたシースルーエレベータが突き抜ける、おとぎの国のような世界。一見「俗っぽい」が、アメリカでは決して安っぽくなく、アメリカの情感が詰まった空間はビジネスを文化にまで昇華していた。
 万博開催とともにできた前述の「千里セルシー」が今春閉館されたと聞く。消費者とのコミュニケーションに齟齬をきたしはじめるとその使命は終わるのが商業施設。
 商環境は時代とともにあり、儚い一面を持つ。「デザインは時代表現」を最も端的にあらわす対象が商業施設であろう。

①ジョン・ポートマン(John C. Portman Jr., 1924〜2017)はジョージア工科大学で学び、1961年にアトランタのアメリカンマートを皮切りに次から次へとプロジェクトをこなし、1969年にシカゴのオヘヤ空港近辺にハイヤット・リージェンシー・ホテルから70年代をピークとして21世紀までディベロッパー・アーキテクトという新しいタイプの建築家として活動した。

②『SD』誌の1974年の11月号をはじめ『GA』A.D.A.などポートマンの仕事については1974年以後の建築雑誌には多くの資料がある。

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10か月前