1972年 イタリアから突風が吹いたアメリカ

20世紀のデザインあれこれ 93
 50年代半ばから60年代のアメリカのモノづくりは豊かな経済力と進んだ科学技術により世界中で群を抜いていた。
 そのデザインは量産を前提としたアメリカ流モダニズムともいうべきもので、機能主義による単なるシンプル・モダンではなくマーケッティングによる「ビジネス」がへばりついていた。別の表現をすれば、より多くの消費者に受け入れられる「普遍性」と少しばかりの「」を備えていたのだ。これを「アメリカン・モダン」ということにしたいのだが、この時期のデザインを「ポピュラックス」とする識者もいる。
 「ポピュラックス」とは、80年代になってトーマス・ハインの著書から「ポピュリズム(大衆主義)」と「ラグジュアリー(豪華さ)」を合わせた造語でこの時期のアメリカの大衆文化を形容する用語とされている。モノにおいては奇抜で少々安っぽい造形を指し、50年代後半に現れた自動車のテールフィンなどのオーバーな造形がこれにあたるようだ。だがこれらはこの時期のごく一部のもので、工業製品全般のデザインをこのように決めつけるのはいかがなものか。体験からいえることは、当時のアメリカの工業デザイナーの多くはまじめに「アメリカン・モダン」に取り組んでいたし、それは60年代の『INDUSTORIAL DESIGN』誌 を通覧すれば明らかである。
 もう一つややこしいのは、インテリア関係のデザイン書ではイームズらがデザインしたモダン・デザインの家具を「アメリカン・モダン」としていることである。もちろんこれらの傑出したデザインを私のいう「アメリカン・モダン」に含めてもいいが、これらの家具だけが「アメリカン・モダン」ではない。むしろ、これらの家具は都市の公共空間だけで生かされアメリカ人の日常生活からは縁遠いものであった。99パーセントのアメリカ人が買って使ったこともなければ、製造した「ハーマンミラー」や「ノール」の社名などは知る由もなかったのだ。消費資本主義のアメリカでこれらの家具は「消費者」の捉え方が全く異なることから別の区分といい方にしたほうがいいのではなかろうか。
 一方、私のいう「アメリカン・モダン」が昨今のデザイン書で評価の俎上に上がらないのは、形態の上で特異なものを見つけられないからであろう。デザインを形態の特異性だけで評価の対象とするのは問題だが、多くのアメリカ人が買い求め、広く全土にいきわたった家電など工業製品の「アメリカン・モダン」はまさに「時代表現」としてデザイン史上記録に残すべきもの。日本の工業デザインも少なからずお手本にしたのだから。
 70年代になると「アメリカン・モダン」にも陰りが見え始めるのだが、その要因を書きだすとこれだけでこの年の紙幅が尽きてしまう。一言だけいうと、一通りのモノが揃うと「アメリカン・モダン」の「普遍性」が神通力を失くし始めていたのである。
 そんなアメリカへこの年イタリアからデザインの突風が吹いたのだ。

 さすがというべきか、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が「Italy: The New Domestic Landscape」と名付けた展覧会を5月26日から9月まで3か月半もの長きにわたって開催した。企画を任されたのは後年「ヴァーテブラ」という事務用椅子や「アクロス福岡」のデザインまでした建築家のエミリオ・アンバース①である。アルゼンチン生まれで当時20歳後半の若きアンバースにこんなことをやらせたのは館長のアーサー・ドレクスラーの慧眼というより英断にほかならないのだが、すごい展覧会をやってのけた。
 展覧会は、あのMoMAの庭にコンテナまで並べ60年代後半からのイタリアのデザイン動向を総覧したもので、展示されたグループやデザイナーの一部をあげると、アーキズームやスーパースタジオのグループにM.ベリーニ、G.アウレンティ、E.ソットサス、J.コロンボらこれまでにも紹介してきたイタリアのオールスターである。
 残念ながらこの展覧会を見ることはできなかったが、日本でも情報として知ることができた。思えばその数年前、ネルソン事務所にいたころチームの先輩にイタリアの新たなデザイン動向について話をしたとき「あんなのは遊びだ」と一笑に付されたことを思い出す。彼らがデザインしていたのはハーマンミラー社の「製品」で、明日のビジネスに資するデザインであったのだから当然の言動であった。1964年に世界のデザイン界に大反響を巻き起こした「アクション・オフィス」でさえ売れないとすぐに製造がストップされたのである。売れそうにないものは製品化されないし、売れなければ切り捨てられる国である。だがそんなデザインがMoMAにやってきたのだ。
 展覧会の結果は、アメリカのデザイナーにとって情報として刺激的価値はあったが、それ以上のものでもなかった。本来アヴァンギャルドとはそういうものであるが、MoMAで開催されたことでイタリアの新たな動向が国際的に知れわたる契機にはなった。
 ところが、アメリカに一つのとんでもない例外があった。イタリアのラディカルさに負けないラディカルなデザインがアメリカでも生まれていたのである。そ
れは脱構築主義の旗手として80年代以後世界中で躍動した建築家フランク・ゲーリー②がまだ無名であったこの年、段ボールの椅子をデザインし販売もされたことはなんとも偶然で、これも編年体で綴るゆえの面白い話である。
 モノづくりのデザインこそ低迷気味であったが、アメリカではこの年世界のデザイン史上で注目すべき建築と企業のロゴが生まれている。
 建築では、建築界の巨匠ルイス・カーンが設計したキンベル美術館である。これを見るためだけにニューヨー
クから飛行機に飛び乗ったのは竣工から15年も経っていたが、期待を裏切らなかったどころか大いに感動した。それは一言「ノーブル」というべきもので、現代建築に神秘なまでの「高貴さ」を見たアメリカ建築の屈指の一つである。
 その佇まいは都心にある美術館とは趣を異にしていてテキサス州フォートワース郊外の緑豊かな公園の中にある。建設中にテレビかなにかのリポーターが空から見て「テキサスに牛舎ができる」と表現していたが、70年代でもカーボーイが闊歩していたフォートワースに六列のヴォールト屋根が並ぶ建屋はまさに牛舎であった。ところが違うのだ。左右に水を配した正面のアプローチからの内部空間はサイクロイド曲線による天井のトップから巧みに自然光を取り込み、これまでの美術館にはない清廉な空気が流れていた。
 もう一つ、経済が下降気味のなか企業は宣伝活動やコーポレート・アイデンティティ(CI)の構築に熱心で、アメリカが世界に誇る企業・IBMのロゴがポール・ランド③によってデザインされた。1956年にランド自身がデザインしたものをブルーの横線によってリ・デザインしたもので「Big Blue」ともいわれ、ロゴの歴史に残るものである。
 ランドはアメリカを代表するグラフィックデザイナーで、仕事も絵本からポスターなど幅広く企業のロゴはIBMのほかABCやウエスティングハウスにUPFなどがある。
 最後に、時を同じくして、日本でも中西元男を中心に組織された「DECOMAS」④が提唱した企業のCI戦略が注目され始めたことを付記しておこう。

①エミリオ・アンバースについては拙著『20世紀の椅子たち』の356頁参照。

②フランク・ゲーリーの段ボールの椅子については拙著『20世紀の椅子たち』の340頁参照。

③ポール・ランド(Paul Rand ,1914〜96)はアメリカを代表するグラフィックデザイナーの一人で、大学などで教鞭もとり若いデザイナーにも大きな影響を及ぼす。

④ DECOMAS 委員会編著『DECOMAS−経営戦略としてのデザイン統合』1971、三省堂

3週間前