1971年 「食のデザイン」に変革が起きた

(20世紀のデザインあれこれ92)
 万博開催に沸いた翌年は、日本の「食のデザイン」に大変革が起きた年である。
 日本のデザイン史で、1971年をこのように捉えるデザイン研究者もいない。が、この年はアメリカ産の「ハンバーガー」と日本産の「カップ麺」という新しい「食のデザイン」が出現した記録すべき年である。さらにどちらもが今日まで現役で莫大な経済的成果を生み続けていることは、奇遇なのだろうか。
 これらを「食のデザイン」とすると、「食文化のまちがいではないのか?」と問われるかもしれない。衣食住の中で「衣」や「住」のデザインについては日常的に語られるのでわかりやすいが、「食」については「デザイン」という視点で語られることがないので疑念を生むかもしれない。しかし「食」はデザインの本質を語るに格好の対象なのである。
 「食」に関わることのなかでも料理するという行為は「デザインする」という行為そのものである。つくろうとする料理の素材選びから技を駆使して美味しくつくることを目的に、最後は器の選択から「盛り付け」に至る一連の行為は、モノをデザインすることと変わりはない。加えて料理を味わう空間までを含めると、料理は人間の五感すべてを駆使して評価するもので、こんなデザインは他にない。なかでも料理と食器の関係は「盛り付け」という最終のプレゼンテーションで、まさに形と色による造形デザインである。稀代のクリエーターである魯山人は「器は料理の着物」とまで言い、自らつくる料理のために作陶を始めたことがよく知られている。
 さらに家庭内で調理する場合は食べる人の顔が見えるので、電気製品などのデザインと違い消費者が目の前にいるのだから成果はすぐに表れる。料理は食材と食べてもらう人への「思いやり」、「愛」が基本で、これは「デザインの心」でもある。
 料理を提供する店の室礼は「店舗デザイン」という領域となり、その良否は料理の味にも影響し売り上げを左右する。昨今では家庭でも「テーブル・コーディネート」と称して食卓上の室礼(デザイン)をアドバイスする専門家が存在するのだから、およそ「食」に関する全てがデザインであるといってよいだろう。

 話をこの年の「食のデザイン」に移すと、アメリカからこれまでにない「食」のシステム・デザインがやってきて大騒ぎとなった。「マクドナルド」①というアメリカの企業と合弁会社を設立した日本マクドナルドが「ハンバーガー」という食べ物を提供する一号店を7月20日に東京銀座の三越店内に開店したからである。銀座という日本の流行情報の発信起点に選んだことが成功してその後日本の各地に店舗展開することになる。
 丸いパンの間にパティやチーズに野菜を挟んだ食べ物「ハンバーガー」は彩り豊かで造形上でもユニークなもの。かつてイタリアデザイン界の鬼才・マリオ・ベリーニも「食のデザイン」として評価していた。しかしマクドナルドが日本へ持ち込んだものはハンバーガーという食べ物だけではなかった。ハンバーガーのつくり方から店舗のしつらえ方、客への提供やサービスの仕方まで「マニュアル化」されていた。これは「食」に関するシステム・デザインとでもいうべきものでこれまでの日本にはなかったもの。これこそが多店舗展開に必須で、「ファーストフード」という新たな食文化を生むことになったのである。
 一方、この年ハンバーガーに匹敵する日本産の「食のデザイン」が誕生した。いまや国民的食品となっている「カップ麺」で、開発・販売した日清食品の登録商標でいえば「カップヌードル」である。カップに入った麺にお湯を注ぐだけで食べることができる食品は革新的デザインであった。このカップのビジュアルデザインは前年の万博のシンボルマークをデザインした大高猛で、半世紀近く経過した今も採用されている。カップだけではなく表面の具材の色合いにも気配りされ、カップの中ほどに麺をとどめてお湯の浸透をよくしたことなど完成度の高い食品デザインとなっている。
 「カップヌードル」が世に知られようになったのは翌年に起こった連合赤軍による「あさま山荘事件」である。機動隊員が極寒の山中でカップヌードルをすする姿がテレビに映りいっきに知れ渡った。今や世界中でつくられ、食べられている日本食品の代表格である。その後多くの企業が参入し、日本で一年間にカップ麺だけで39億食以上、世界中で即席ラーメンなどすべて加えると年間一千億食にもなるという。気の遠くなる数字である。
 「食」というのは人間の生存に関わり、その欲求もより美味しいものを求めて際限がない。それに応えるべく日本の食品工業の生産技術と気配りは世界でも群を抜いている。ちっぽけな菓子ひとつずつをプラスティックフィルムで包み美味しさを保つ過剰なまでの包装などは「よくもここまで」と感じ入る。
 だが、昨今顕在化しはじめた海のマイクロプラスティック問題の大きな要因の一つが食品関係の廃棄プラスティックなのである②。
話は飛ぶが,この年日本で公害問題から「環境庁」という役所が発足したことも皮肉である。この年からマイクロプラスティック問題がスタートしていたのだから。
2050年の海では魚よりマイクロプラスティックの方が多くなるという。半世紀が経過した今、カップ麺のカップやペットボトルをはじめ多くの食品産業が生み出すプラスティックゴミがこれほどまでになると誰が予測しただろうか。前年のローマクラブの提言が出たとき「資源などそう簡単に枯渇しない。大丈夫だ」とする研究者もいたし、二年前にプラスティックのストローなど食品関係のゴミが問題化したときも産業廃棄物などと比較すれば取るに足らないとする意見もあった。
 それにしても、日々ゴミの分別をしていると家の中で「プラ」とするゴミがなんと多いことか。戦後のモノがなかった時代を知る者にとってはただただ驚くばかりである。
 ニューヨークではすでに発泡スチロールの食品容器の使用禁止に加え、レジ袋を2020年から禁止するという。本当に可能なのだろうかと思うが、素晴らしいことだ。日本でこんなことを言い出せば、産業界のみならず消費者からも袋叩きにあうだろう。それどころか日本政府は経済にマイナスとして、こんな発想など微塵もないことだけは確かである。
 日清食品ではカップを発泡スチロールに代わって紙製にする試みに加え、「カップヌードル」発売から半世紀を迎える2021年には自然に分解される「バイオマスECOカップ」に代えるという。「つくる責任」としての取り組みに大いに期待しよう③。
このころからモノづくりに関わるデザイナーは企業のマーケティング戦略に乗っかり、消費者に寄り添い「消費者のニーズを探る」を心がけていた。
爾後、それが高じて「ニーズを喚起する」という方向にまで進み表層的意匠にかまけて大量のゴミをつくってきた。
 今、デザイナーは「消費者」だけでなく、「地球」にも寄り添う時に来ているのだが。

① 「マクドナルド」(McDonalds )はアメリカのマクドナルド兄弟が1940年に創業した世界最大のファストフードチェーンストアの登録商標である。ロゴと組み合わせた黄色いアーチ状のエムは「ゴールデンアーチズ」と言い1960年ごろから広く使われ郊外店では店舗を覆うような外装にまでついていた。ゴールデンアーチズもいろいろ変遷を遂げ2006年ごろからはシンプルなエムだけのデザインになっている。

② 軽く安価で形成が容易という点から発泡スチロールは漁業用のブイなどにも使用され、海洋漂着の微小プラスティックの大半が発泡スチロールとされている。

1年前