1969年 イタリアン・デザインの輝き

 この年も前年に引き続き世界のあちこちで騒がしかった。
 アメリカではベトナム反戦運動が頂点に達し、ワシントンでのデモには25万人もの人が全国から集まった。さらにデモではないが、この時代のカウンターカルチュアの象徴的イベント「ウッドストックでのロックフェスティバル」に4万人の若者が集まり今も語り草となり、今年は50周年を記念してイベントが企画されるという。
 この年のデザインについて書こうとするイタリアでも映画「フォンターナの広場—イタリアの陰謀」(2012)にまでなったミラノの銀行爆破事件。万博を翌年に控えた日本では東大安田講堂に機動隊が突入して大騒ぎになったことなど数え上げるときりがない。
 そのうえ歴史上初の出来事として、この年の8月「アポロ11号」によって人類が初めて月面着陸に成功。アメリカの科学技術と宇宙への野望が結実したこのニュースはメディアの映像によって世界中を沸きかえらせた。
 偶然なのか、アメリカの宇宙への挑戦に対抗するかのようにイギリスとフランスが共同開発した「コンコルド」という超音速旅客機がマッハを超える初飛行を敢行。そのデザインはテクノロジーを具現したものであったが先頭部からの流れるようなラインは美しく、かつてルイス・サリヴァンが言った「形態は機能に従う」を懐かしく思い出した。
 サリヴァンの言説からバウハウスによるデザインの機能主義が指標となるなか、イタリアでは50年代の半ばからこの年まで独自の造形文化により注目すべき建築やモノが数多く誕生。「デザインの黄金時代」ともいわれ、活躍したデザイナーや仕事を拾い上げていくとあまりに多くとても紙幅がない。欄外と画像でその一部を記しておこう①。
 1966年の項で、この年を「デザインの転換点」としたが、企業による製品化には時間が必要で、60年代も最後の年になって転換点を象徴するような二つのモノ(製品)が誕生した。
 その一つは,オリベッティ社の「バレンタイン」と名付けられたタイプライターで、デザインしたのはエットーレ・ソットサス。彼は80年代にポスト・モダニズムを「メンフィス」というグループを率いて牽引し世界のデザイン界に大きな足跡を残した巨人である。
 ソットサスはオーストラリアで生まれるが、父親とともにイタリア・トリノへ移りトリノ工科大学で建築を学であったが先頭部からの流れるようなラインは美しく、かつてルイス・サリヴァンが言った「形態は機能に従う」を懐かしく思い出した。
 サリヴァンの言説からバウハウスによるデザインの機能主義が指標となるなか、イタリアでは50年代の半ばからこの年まで独自の造形文化により注目すべき建築やモノが数多く誕生。「デザインの黄金時代」ともいわれ、活躍したデザイナーや仕事を拾い上げていくとあまりに多くとても紙幅がない。欄外と画像でその一部を記しておこう①。
 1966年の項で、この年を「デザインの転換点」としたが、企業による製品化には時間が必要で、60年代も最後の年になって転換点を象徴するような二つのモノ(製品)が誕生した。
 その一つは,オリベッティ社の「バレンタイン」と名付けられたタイプライターで、デザインしたのはエットーレ・ソットサス。彼は80年代にポスト・モダニズムを「メンフィス」というグループを率いて牽引し世界のデザイン界に大きな足跡を残した巨人である。
 ソットサスはオーストラリアで生まれるが、父親とともにイタリア・トリノへ移りトリノ工科大学で建築を学ぶ。1947年にミラノで事務所を開設し活動を始めるが、1956年にアメリカへ旅し帰国後の1958年からはオリベッティ社のデザインを担当。翌年には大型コンピューター「エレア9003」で黄金コンパス賞を受賞。その後はマリオ・ベリーニとともにイタリアを代表する企業・オリベッティ社のデザインを担う。
 というのがこの年までのソットサスの略歴だが、私がソットサスのデザインを知ったのは60年代の中頃であったと思う。ところが、アメリカから帰国した翌年、ホイットニーから出版された「建築の内部空間のドローイング」②という本を手にして驚いた。ミースやコルビュジェらのスケッチに交じってネルソン事務所がデザインした実験住宅の内部空間をソットサスが描いていたからで、今そのスケッチを見ると、あのソットサスがどうしてネルソン事務所で働いたのかは謎である。ジョージの生存中に聞いておけばよかったと思うが、ネルソン事務所に在籍していたという点ではソットサスは事務所の先輩になる。
 余談はさておき、1958年からこの年までのオリベッティ社での仕事は彼らしい個性を見せてはいるものの正真正銘のモダンデザインで至極真面目に取り組んだ傑作である。
 それがどうして急にこの年「赤いバケツ」ともいわれるポータブル・タイプライター「バレンタイン」なのか。事務用機器として機能面では何の新規性もないのにどうしてデザインの転換点に立つ象徴的なモノなのか。既にIBMの丸い印字ボールによる電動タイプライターが世に出て8年も経つというのに。
 それは事務用機器に機能とは別のデザイン言語により製品としたからで、タイプライターでないタイプライターともいえる。とにかく真っ赤なABS樹脂でできた「赤いバケツ」はカッコよかったが、彼は「バレンタインはそんなに変わったものでない」とも言う。
 前年までのオリベッティ社の製品ではモダニズムの流れにあるデザインをしていたが、彼の思考の中では「人間性」とでもいえる新たな方向を模索していて、65年ごろの家具のデザインではポスト・モダニズムを予兆するようなカラフルでユニークなものが見られる上に、スーパースタジオやアーキズームの活動の後ろ盾にもなっていたという。
 彼は「ひと昔前のポータブル・タイプライターはステイタスシンボルであったが、今や若い女性などだれもが使うボールペンのようなものになった」と、さらに彼らしい表現だが「バレンタインはウインクすること、握手すること、お遊びをするためにデザインした」とこの年の11月3日に車の中で、多分バレンタインのキイをたたいている③。

 この年を象徴するもう一つの製品は、先月(4月号)の『家具タイムス』の表紙で紹介されたB&B Italia社の「UP」シリーズである。デザインしたのはガエターノ・ペッシェで、今年のミラノ・サローネで発売から50年を迎えて再び脚光を浴びた。
 「UP」シリーズは当時の科学技術とペッシェの思想が結びついた傑作で、発売時には商品名のロゴからパッケージを含めた商品化計画が革新的でとにかく凄かった。それ故イタリアのみならずアメリカや北欧のデザイン・ジャーナリストをも走らせた。
 何がそんなに驚かせたのか。ペッシェは「変容」をテーマにデザインに取り組んでいて、この「UP」シリーズの最大の売りは、圧縮したウレタンを塩化ビニールのカバーで板状になった状態で工場からデリバリーされ、使用段階でふくらませて椅子になるという前代未聞の方法である。通常のノックダウンなどとは異なり家具の流通革命であった。(現在は諸事情から最初から椅子の形状になっている)また「UP」シリーズは「UP1」から「UP7」までの7種類があり、なかでも「マンマ」と名付けられた「UP5」は女性の身体を表し「UP6」のボール状のオットマンと対をなし、鉄球につながれた女性(抑圧された女性)というペッシェの女性観まで表わしたという。
 70年代以後のペッシェはデザイナーというよりはクリエーターとして活動し難解なオブジェや椅子などを製作するが、詳しくは拙著『20世紀の椅子たち』④を参照されたい。
 この年の日本のデザイン界は翌年に控えた大阪万博のために奔走していた。が、ようやく工業製品のデザインがアメリカでモダンデザインとして評価される。この年の『INDUSTORIAL DESIGN』⑤誌に日本特集として大きく取り上げられた。この年イタリアで生まれた二つとは似ても似つかぬ対極にあるものであったが。
 「バレンタイン」と「UP」シリーズの二つは,イタリアの1969年という時を饒舌に語り、70年代以後への懸け橋としてデザイン史を飾った名品である。

① イタリアのモダンデザインの父ともいわれるジオ・ポンティを始め建築家ではオリベッティ社のショールームを設計したカルロ・スカルパと照明器具や家具もデザインにも名作の多いアンジェロ・マンジャロッティ、ショールームなどに力を発揮したG・アウレンティ。家具などの工業製品では、オリベッティ社の初期のデザインを確立したM・ニッツォーリ、M.ザヌーソ,R.・サパー、M・ベリーニ、V・マジストレッティ、システム的な思考で一世を風靡したJ・コロンボ。自動車ではチームとしてフェラリーを造ったピニンファリーナ、日本のいすゞのデザインもしたG・ジゥジアーロらをあげておこう。
② John Pile, Drawings of Architectural Interiors, Whitney Library of Design,1967
③ 『工芸ニュース』Vol.37,1970
④ 拙著『20世紀の椅子たち』324〜327頁
⑤ 1950年代半ばから日本の工業製品のデザインは企業努力もあり飛躍的な発展をするが、その要因の一つに「輸出」という目的があった。最大の輸出先はアメリカで、雑誌『INDUSTORIAL DESIGN』はアメリカの工業デザインの情報源として70年代まで日本の工業デザイナーのバイブル的役割を担った雑誌。

4か月前