1996年 モダンデザインの転換点

 この年、アメリカではベトナム戦争に対する学生の反戦運動が激化。それがメディアの力により世界中に飛び火し、二年後にはパリの「五月革命」や「プラハの春」の発端となり若者のエネルギーが世界を動かし始める。 もう一つ、中国では民衆の政治運動「文化大革命」が勃発し若者が中心となった紅衛兵が跋扈したことも知られている。が、これは世界中での若者の運動とは質を異にしていた上に、このころの中国の情報は即座に伝わらず、実態は少し遅れて知られることになる。
 若者の騒動といえば、この年日本でも学園紛争はあったが、その一方でイギリスからロックバンド「ビートルズ」がやってきて若者の間で大騒ぎになったことも挙げておこう。
 デザインが「時代表現」であるとすると、このような若者の動向に呼応して新たな考え方が出てくるのも必然で、モダンデザインは転機の時期を迎えていたのである。
 1966年をモダンデザインの転換点とするのは、ニューヨークに住み、目の前のデザイン事情と日々伝わるイタリアをはじめとした新たな胎動との対比を経験した私の思いからである。80年代の「ポストモダニズム」の第一波がこの年やって来ていたのだ。
 アメリカのデザインには新たな風などまったく吹いていなかった。と言いたいのだが、実は少しばかりの兆候はあった。この年の初めに「Fantasy Furniture」と題した展覧会がニューヨークのクラフト美術館で開催されたのだが、現実のデザインシーンにはなんのインパクトにもならなかった。
新たな風が吹かなかった理由は1952年の項でも書いた「空間の二極化」と、モノでは進んだ科学技術とモダンデザインによる製品が経済繁栄を支え謳歌していたからである。
「そんなことはないだろう」と言われるかもしれない。二年前の「アクション・オフィス」は革命的デザインではなかったのか、と。確かにこれまでになかった発想のデザインで世界中に衝撃を与えたが、バウハウス以来の機能主義的モダニズムの流れのものであった。それをデザインしたネルソン事務所で日々ハーマンミラー社の製品の計画に参加するなか、ヨーロッパからの新たな風を感じ、時にはチーム内でこれらの方向にも言及したが、「あんなのは遊びだ」と一笑に付されたことを思い出す。デザイン対象がオフィスなどの公共空間ということもあったが、彼 らが目指す方向はアメリカの科学技術を活かした素 材と製造方法による機能主義のモダンデザインで、 彼らにはアメリカのデザインを主導しているのだとい う自負に満ちていた。そして造形とともに製造段階に まで配慮し「レイバー・コスト」(人手)をかけないよう なデザインとディテールを目指していた。

 アメリカの事情はさておき、この年ヨーロッパで芽 生えた新たな胎動に移るとしよう。
 その代表格はイタリアでラディカルな建築家集団 が二つも誕生したことである。
 一つは,アンドレア・ブランジらによってフィレンツェを ベースに活動を始めた「アーキズーム」(正式名称 はアーキズーム・アソチアティ)で、未来都市構想や これまでの概念にはなかった家具などを展覧会や 出版活動によって発表し世界に衝撃をもたらした。代表作に「ノン・ストップ・シティ」(1970)という未来都 市の提案があるが、家具では「スペロンダ・ソファ」 (1966)や「サファリソファ」(1968)などがある。さらに メンバーの一人であるパオロ・デガネッロが中心と なってデザインした「アエオ」(1973)は椅子のデザ インとして大いに注目されたが、グループは1974年に 解散する。
 もう一つの「スーパースタジオ」は、アドルフォ・ナタ リーニらによって結成されたグループで、建築から都 市、家具など幅広い領域にラディカルな反デザイン を過激なドローイングによって展開。建築をラディカ ルな批評の道具として、伝統を破壊する手法でアー トにも結び付けながら建築を哲学的・人類学的アプ ローチによって捉えなおすことであった。彼らの代表 作にコラージュ形式で発表した都市計画案「コン ティニュアス・モニュメント」シリーズがある。実作は ほとんどないが 、ザノッテ社で製 品 化された 「Quanderna」と名付けられた3センチ四方のグリッ ドで展開されたテーブルを中心とした家具がある。
 この二つのグループの活動が日本で注目されだし たのは70年代になって日本の雑誌などで紹介され 出してからだが、ヨーロッパにおける新たな胎動は 66年前後から家具のデザインに多く見られた。主な ものを挙げると、イタリアではジョナサン・デ・パスらが 透明の塩化ビニールを高周波で溶着して空気を詰 め込み椅子とした「ブロウ」やピエーロ・ガッティらが デザインした砂袋のような「サッコ」。フランスではオリ ヴィエ・ムルグが「ジン」という一連の椅子を、ピエール・ポーランが「タン」と名付けた発泡剤を張り包ん だだけの椅子のシリーズもこれまでの椅子の概念を 覆すこととなった。木を中心に独自のスタイルを生み 出していた北欧、それもアルヴァ・アアルトを生んだ フィンランドでエーロ・アールニオが椅子の空間化と もいえる「ボールチェア」をこの年に発表している。これらが同時多発的に生まれたのは決して偶然の出 来事ではなく、モダンデザインが転換点を迎えてい たのである。
 こんなヨーロッパを中心に吹きはじめた風がアメリ カのデザインに吹かなかった理由については先述し たが、若者の反戦運動からカウンターカルチャーの 影響がデザインにではなくポップアートなどの美術に 表れたのがアメリカである。
 この年それを物語るイベントがニューヨークであり 連日多くの人で賑わっていた。マルセル・ブロイヤー の設計で開館した「ホイットニー美術館」の柿落し の展覧会でのことである。アメリカの名だたる美術 館では展示物が古代やヨーロッパのよそものがす べてであるのに対し、この展覧会は「アメリカの現代 美術」で埋め尽くされたからだ。が、この時展示され た美術作品はアメリカのみならず世界の美術の新 たな動向を示すものであった。
 最後に、こんなアメリカのデザインにも経済効率だ けでは考えられない面白い空間がこの年誕生して いた。ニューヨーク・マンハッタンのビルの谷間にでき た「ペイリーパーク」で、ポケットパークの嚆矢となっ た小さな公園である。日本のウイキペディアでは 1967年の開園となっているのはまちがいで、数日前 まで塀でおおわれていたのが急に開園されたのを 私が目撃したのは1966年の秋であった。デザインし たのはロバート・ザイオンで、正面には滝が水を落と し木々の下にはベルトイヤーのスティールメッシュの 椅子がこの公園のためにデザインされたのかと思え るほどマッチしていた。
 これも豊かな経済力の表出であるが、マンハッタ ンにポケットパークという憩いの場が一人の人間の 私財によって創出されたことは、ヨーロッパとは異なり アメリカにおけるラディカルなデザイン表現といってよ いだろう。

①アーキズームについては『SD』1974年9月号の「アーキズームの全仕事」を参照。

③ 雑誌『JAPAN INTERIOR DESIGN』1970年11月号を参照。

④ ロバート・ザイオン(Robert Lewis Zion, 1921 〜2000)は、ハーバード大学で多くの領域を学び、多様なキャリアを積みランドスケープアーキテクトとして多くのプロジェクトを残す。代表作にニューヨークのIBMの本社のアトリウム、ニューヨーク近代美術館の中庭、フォートワースのウオーター・ガーデンなどがある。

5か月前