1961年 高度経済成長の起点それは地球環境汚染を生む起点に

(20世紀のデザインあれこれ82)
 前年の夏、大騒動の末に岸内閣が倒れ、大蔵官僚出身の池田隼人が「所得倍増計画」を政策に掲げ内閣総理大臣となり、この年日本の高度経済成長が実質的にスタートした。
給料が2倍になるというわかりやすい政策は、サラリーマンだけではなく多くの日本人を魔法にかけ「経済成長」といううたい文句が踊りはじめた。だから建築からモノづくりまで経済成長を具現するかのような状況が表れたのがこの年である。
 そんな事情を象徴するものとして、スター建築家であった丹下健三が「東京計画1960」というとてつもない計画を発表した。当時若手で活躍していた磯崎新や黒川紀章らを加え東京大学の丹下研究室として提案したから建築界だけではなく社会に衝撃を与えた。計画の詳細は雑誌『新建築』(1961、3月号)に譲るが、経済成長により東京へ流入する人口増加①に対応するため東京湾に線形の海上都市を建設しようとするもの。この気宇壮大な構想は実現されるはずもなかったが、この時期丹下だけではなく建築家が大真面目に壮大な都市構想を発表したのはこの時代の社会状況を見事に現している②。
 モノでも「いけいけドンドン」とばかり多くの業界でそれなりのデザインを伴って新製品が登場した。1961年のモノに関わるデザインの全容は雑誌『工芸ニュース』(1962、vol.30)に鉄道車両から自動車、光学機器に音響機器、家庭電化製品や家具など項目別にまとめられ、さらにデザイン界の歩みとして行政から企業の動向まで細かく記されていて当時の『工芸ニュース』としてもちょっと珍しい採りあげ方である。それほど日本のモノづくりが多くの分野で活気を見せ始めた証であった。
 一方、アメリカではビジネスの中心であるニューヨークでウオール街などの金融街が活況となる。その契機となったのがこの年竣工した旧チェース・マンハッタン銀行ビル(現在は28リバティ・ストリート)である。設計したのは1952年の「リーバ・ハウス」と同じSOMのゴードン・バンシャフトで、ウオール街のシンボルとなる地上60階建ての超高層ビル。今ではアメリカで43番目にまで落ちてしまったが、2001年9月11日の通称「9・11テロ」で消えたワールドトレードセンター(1973)ができるまではダウンタウンで最も高く輝いていた。サンクンガーデンにはイサム・ノグチの石庭まであり、日本から視察と称してニューヨークへ行ったデザイナーが立ち寄るビルでもあった。

 偶然なのだろうか、モノでもこの年を象徴するよう な製品が生まれている。ウオール街のオフィスではエ リオット・ノイスがデザインしたIBMの「セレクトリック・タイプライター」の丸いボールが回転を始めていた。これはパーソナル・コンピューターが出まわるまでの比較的短期間ではあったがアメリカのビジネス社会を 席捲した凄いマシーン。ボールが回転しながら素早く印字し、その上フォントが簡単に変えられるのだからまさにオフィスという場の革命児の誕生であった。
 しかし、この年世界中を驚かせたビッグニュースは、4月12日に旧ソ連の人間を乗せた人工衛星・ボストーク1号打ち上げ成功である。初めて宇宙空間へ出た飛行士・ユーリ・ガガーリンが言った「地球は青かった」という言葉は世界中を駆けめぐった。
 ソ連の成功に衝撃を受けたアメリカが「負けてなるものか」と宇宙開発競争に力を入れソ連としのぎを削ることになる。そして今日まで両国だけではなく世界中で気候探索などと称して宇宙へどれだけのものが打ち上げられたことか、数えきれない。その中には宇宙でゴミとなったものも多い。かつて衝突工学を研究する友人が「そのうち宇宙はゴミだらけになるよ」と言っていたことを想い出すが、宇宙のゴミ問題が顕在化するのはいつ頃になるのだろうか。
 というのも、ようやく昨年あたりからプラスティックゴミが海洋汚染につながると急に騒がしくなり、「スターバックス」がプラスティックのストローを廃止にす るという。たかがストローだが、アメリカでは一日5億本のストローが捨てられていることを知るとこれも空恐ろしい。エレン・マッカーサー財団の報告によれば、 2050年には海で魚よりプラスティックゴミの方が多くなるという。身近なところでは、日々のゴミの分別で 「プラ」という名のゴミの量が生ゴミを上回るのに驚 かされる。今やわれわれの生活はプラスティックなし では成り立たない「プラスティック依存症」という病に 侵され重症なのだ。
 人間は一度手にした豊かさや便利さからは逃れられない生き物で、企業は企業で利益になるとなれば、地球環境などおかまいなしに邁進してきた結果である。  この年日本のモノづくりでは先述したように多くの新製品が誕生したが、その中でゴミ問題にも関連し 「デザインは時代表現」を地で行くような二つのモノが誕生していた。
 積水化学が発売したゴミ回収容器の「ポリペール」とGKデザイン研究所がデザインしたキッコーマンの卓上醤油瓶である。 積水化学が造った「ポリペール」は、3年後に控えた東京オリンピック開催に向け「街を美しく」ということから各住戸でゴミを保管、回収日に持ち出す蓋付き のゴミ回収容器である。これにより生ごみをそのまま捨てるコンクリート製のごみ箱が街角から消え、街中のごみ問題の解決に大きな役割を果たした。現在ではごみの分別などからゴミ回収容器としての役割を終え、さまざまなモノの収納容器として活用されている。 キッコーマンの卓上醤油瓶は、この時代の日本のデザインとして海外で高い評価を得ている。それは 醤油という日本特有の調味料の容器として美しい造形と利便性などからであるが、2018年には「立体商標」として登録までされた。
 このころの日本では、経済成長といううねりのなか、 発売されたインスタントラーメンに代表されるように 生活の簡易化が流れとなっていて、醤油を買った容器がそのまま食卓で使える便利さから大ヒットとなった。とりわけ海外ではちょっと買ってみようとする人には都合がよかったのだ。が、使い終わったこの容器に一升瓶から入れ換えて使った人はどれぐらいいただろうか。またこの瓶は「リターナブル」でなかった上に、コストのかかるリサイクルがどれぐらい行われたのだろうか。小さな瓶だけに使い捨てられるものも多いに違いない。また商標のついた卓上醤油瓶を食卓で常用することに少しの疑問もあるが、「使い捨て」をよしとしたこの時代を象徴するデザインであった。
 この頃のアメリカでは「ディスポーザブル」(使い捨て)がモノづくりやデザインのテーマになっていた。 日本でも「消費は美徳」や「使い捨て」が合言葉となった高度経済成長がスタートしたこの年、地球環境の汚染もまたスタートしたのである。
 「ビジネスで成功する近道は地球を汚すことを考えろ」という極端な発想はいつまで続くのだろうか。今、デザインに何ができるのか、が問われている。

① 参考までに、1960年の東京都の人口は968万人、2018年は1,357万人である。

② 丹下健三に影響を受けた黒川紀章、菊竹清則、槙文彦といった建築家たちがこのころ「メタポリズム」という建築運動を展開し、都市のあるべき姿を提案・発表。代表的なものに菊竹清則の「海上都市」があるが、いずれも高度経済成長に向けた「時代表現」であった。

12か月前