大阪から生まれた日本の鋼管家具 —そしてアルミの椅子をめぐって

(20世紀のデザインあれこれ2)
 家具の材料として金属が使われたのはローマ時代にまで遡るが、20世紀になり、鋼管によるモダンデザインの椅子を最初に完成させたのはマルセル・ブロイヤーで、彼が1925年にデザインした「ワシリーチェア」①は椅子の歴史に残る名品である。さらに、キャンティレバーの椅子の話となると、当時の喧騒ぶりについては既に本誌の691号などで書いたので参考にしていただきたい。
 ほとんど同じ頃に、日本でも真鍮などの金属パイプによる家具が、それも大阪で生まれていた。関西の年長者の方なら名前だけでも聞かれたことがあるかもしれないが、日本金属加工株式会社(大阪・西成区)という名前の会社で、1930年頃には鋼管による家具が製作されていた。
 日本金属加工株式会社の親会社であった湯浅伸銅株式会社の社長・湯浅譲が銅や真鍮パイプの用途調査でヨーロッパへ渡ったのは1920年。ドイツで真鍮パイプを使った椅子に出会い、23年に帰国。その翌年の1924年に真鍮パイプによる椅子を製作したとされるが、この時の写真がなく、どんな椅子だったかは不明である。また、1927年に建築家・山田守が分離派の展覧会に真鍮のパイプによる椅子と卓子を発表したという記録もあるが、多分建築家の提案として試作程度でなかったか、と思う。翌28年には建築材料に造詣が深い建築家・吉田亨二(早稲田大学教授)の指導により日本金属加工株式会社が鋼管を使った家具を製作。商標も「YSY」 とし、これが日本での鋼管家具の最初だという。
 一方、ヨーロッパの鋼管の椅子が最初に日本で紹介されたのは、1928年3月に東京で「仏蘭西装飾美術協会展覧会」が開催され、ルイ・ソオニョ(L.Sognot)がデザインした鋼管の椅子(図参照)が展示された。この椅子とバウハウスあたりの情報があいまって日本の鋼管家具への歩みが速くなっていったことは確かである。
 30年代になり、雑誌『国際建築』や『新建築』さらに『近代家具』などで鋼管による家具が盛んにとりあげられ、若手建築家がこぞって鋼管による家具のデザインを試み、自らの設計した住宅などに使いだしたのは、彼らの思考した空間に最も適していたからである。ヴァイセンホーフ・ジードルング②でスタムやミースが鋼管によるキャンティレバーの椅子で熱く燃えたのと同様で、「モダニズム」を象徴する家具であった。
 その頃の早い例として、日本人として初めて1927年から2年間バウハウスに学んだ水谷武彦が帰国後の1930年に東京美術学校の展覧会に出品した椅子がある。また、鋼管の椅子をつくっていたメーカーとして、前述の日本金属加工株式会社のほか、横浜船渠株式会社、丹波屋商店などがあった。尚、このあたりの詳しい事情については最後に挙げた参考文献を参考にされたい。
 一方、アルミの椅子が注目されたのは、1933年にパリで開催された「アルミニューム家具の国際コンクール」で、第二部ではあるが当時、商工省の工芸指導所に勤務していた西川友武③が応募し1等となったことである。西川の周囲では驚きと賞賛で大変であったと想像するが、その証として昭和10年(1935)に多くの人も参加して『軽金属家具』(工業図書)という本まで著していた。この本の内容はアルミニューム家具の国際コンクールの報告のようなもの。アルミについて技術的な記述から家具の現状などもあるが、中心はコンクールの規定や応募経過、さらに報道記事の抜粋まで細かく語られている。このとき応募した西川の作品はパイプではなくアルミのアングルで構成された小椅子で、アングルというのは現在では考えられないが、接合や曲げ加工などの課題の解決などについても記されている。当時、国際的なデザインコンペで1等になることは凄い快挙であるが、市井のデザイナーではコンクールの存在すらもわからなかったであろう。国の機関である工芸指導所ならではのことである。
 このコンクールは二つの部門があり、1部は試作品を提出することが義務付けられた完成品で評価される部門と2部は図面などで提案する部門であった。1部では量産時の販売価格も提示しなければならなかったこと。さらに驚くことは、強度のテストをすることが明記されていたことである。(図参照)賞金は1部が3000スイスフランで、2部は500スイスフラン。西川が得た500スイスフランが当時どの程度の価値があったのか、とつい下世話なことまで想像してしまった。
 いずれにしても、世界で初めて行われた国際的な家具デザインのコンペティションで、椅子座を使用する習慣やアルミによる製作の歴史がなかった日本で、西川が1等になったことは驚嘆に値する。
 一部の1等に選ばれたマルセル・ブロイヤーの椅子はその完成度など卓抜であったことは確かだが、既にスイスのエンブル社で製品化されていたもので、審査員にギーディオンやグロピウスであれば、審査以前に1等になるのが約束されていた、といってもよく、ちょっとできレースという感もしないではない。この椅子はモダンデザインの歴史に残るアルミでできた椅子の最初である。
 西川が著した『軽金属家具』にはアルミの可能性や期待が綴られているが、現在の日本では「軽さ」を活かしボンボンベッドや折りたたみ椅子程度で、先月紹介したホルヘ・ペンシ(Jorge Pensi)のスタッキング肘掛椅子「IRTA」のような屋内外用の椅子はつくられる気配はない。数量を造る椅子には「値ごろ感」という価値観が大きく支配していて、初期投資の大きいダイキャストによる椅子などは生まれないのが現状である。
参考文献

梅宮弘光 「1930年代日本の国産鋼管椅子とバウハウス周辺」
『国際デザイン史』、思文閣出版、2001
石村眞一 『カンチレバーの椅子物語』、角川学芸出版、2010
①:『家具タイムズ』690号参照。
②:『家具タイムズ』691号参照。
③:西川友武(1904〜74)は東京高等工芸学校(現、千葉大学)図案科を卒業、商工省の工芸指導所に入り部長などを務める。工芸関係の著書も多い。

3年前